Sunday, April 18, 2010

2月18日 Penkkarit "Down with the benches"

2月18日木曜日、Penkkaritというものがあった。英語ではDown with the benchesと訳されるらしい。
フィンランドの高校の伝統的なアクティビティーの一つで、高校最終学年三年生の生徒たちが、大学の一斉試験のための自習期間に入る前、最後の登校日を祝う行事のことを言う。地域によって祝い方は違うが、ヘルシンキではヘルシンキ内外の高校三年生たちがトラックに乗って集まってくる。お昼頃から段々集まり、午後二時ごろにはエスプラナーディ通りが各高校のトラックでいっぱいになり、その周りにはたくさんの見物人が。トラックには各高校・クラスのスローガンが書かれてある板や布が掲げられており、生徒たちはお菓子を道端、見物人に向かって投げながらどんちゃん騒ぎをする。


この最終登校日のお祝いは長い間学校内外で受け入れられていて、フィンランド人はトラックに乗った卒業生を見るために通りに集まり、いわゆる不作法とか不品行というのは許容されている。トラックから学生が転落するということは時々あるけれど、大事に至るような事故は起きたことがないらしい。


お昼の時間が空いていたので、大学からエスプラナーディ通りまでちょっと歩いて行ってみた。たくさん人が集まっていて、学生が投げるキャンディーなどを一生懸命拾っている人も結構いた。私は高校生たちを見ながら、「若いな~。高校時代に戻りたい。」と思いつつ、活気のあふれる彼らを見ているうちに、いつの間にか自分の顔に笑みがこぼれていた。私も、まだこれからだ、と元気をもらったひと時だった。



以下はビデオと高校生たちの写真。スローガンのイラストに日本のアニメキャラクターなどを取り入れているものを結構見かけた。





Penkkaritの後には、今度は二年生が自分たちが学校で一番年上になるのを祝うダンスパーティがあるらしい。これも保護者や先生たちが見守る学校の催しの一つで、二年生たちは伝統的なドレスに身を包み、男女ペアで参加する。
教育水準の高さで最近注目されているフィンランド。そこには日本の学校では見られないゆとりがある。日本のゆとり教育とは質が違う。

Sunday, April 11, 2010

2月4日~7日 A Visitor From France, Moomin Museum

二月初め、中学・高校が一緒で、フランスに留学中の友達、智恵が遊びにきた。

2月5日は作家でフィンランドの国歌の作詞もしたというルーネベリ(J.L. Runeberg)の誕生日。4日、授業中に先生が新聞記事を見せてまわってくれ、そこにはルーネベリの日(Runebergin päiva)に食べるというお菓子、ルーネベリタルト(Runebergin torttu)の写真が載っていた。ルーネベリの大好物だっため、ルーネベリタルトと呼ぶようになったらしい。

学校の帰りスーパーに寄ると、それが売っていたので購入し、智恵を空港へ迎えに行った。家に帰ってから夕食を一緒に食べ、デザートにルーネベリタルトを食べてみた。甘いけれど甘すぎでもなくて、おなかがすいているときに食べるととびっきりおいしいと思う。










次の日はヘルシンキ市内を回ることに。まず、テンペリアウキオ教会、そして凍った海の上を歩きにいって、シベリウス記念公園。知らない道から中心街に帰ろうとして道に迷ってしまったが、途中から無事トラムに乗って帰ることができた。もう何か月も住んでいるのにもかかわらず、智恵には心配をかけてしまった^_^;






長い間外を歩いて疲れていたので、カハビラ・スオミ(『かもめ食堂』撮影場所)に入ってお茶にした。私はおなかが空いていたので軽い食事をとることに。ほうれん草スープ、シンプルだが気に入った。この後は大聖堂を見に行ってマリメッコでお買いもの。夜はサーモンスープを作った。



←大聖堂前、雪の積もった階段を滑り降りて遊ぶ子どもたち。


エスプラナーディ公園にあるルーネベリの銅像前には火が灯されていた。 ↓
6日はタンペレにムーミン博物館を訪ねにいった。電車で約二時間。電車の中で隣に座っていた方がタンペレにある大学の学長さんで、いろんな話を聞かせてもらった。フランス語の先生でもあるらしく、「友達は英語を話さないの?」と聞かれ、「彼女は今フランスに留学中でフランス語なら話します」といったら、突然フランス語で話し始め、私はぽかんとしつつ、フィンランド語・英語以外の言語をも流暢に話す学長さん、そしてフランス語でペラペラと話す智恵にびっくり。智恵かっこよかった!^_^ 

月末に日本から教育関係者が学校視察に来る予定らしく、簡単な挨拶を教えてくれと言われたので、教えてあげた。これがまた驚いたことに、私は単にローマ字で書き出してあげようと思っていたが、自身でメモにとるだけでなく、私たちに何度か発音するのを頼み、自分が聞こえた通りにフィンランド語のアルファベット表記で書き取っていた。 どこにアクセントを置くかも気にしていて、マルチリンガルの人は言語の学び方が違うな、と感じた。



着いたらもうお昼の時間だったので、以前話に聞いていた「華火」というラーメン屋さんで昼食にした。具はユニークだったけれど、おいしかった。作っている人は日本人の方、店員さんは日本語を話すフィンランド人の方だった。


駅からまっすぐ1kmくらい歩いて、ムーミン博物館に到着。正式名称はタンペレ市立美術館ムーミン谷。市立図書館の一階にある。たくさんの日本人が来るらしく、パンフレットや標示など、あらゆるところに日本語を見かけた。

博物館内には原作者トーベ・ヤンソン(Tove Jansson)の直筆のスケッチや、ムーミンハウスの模型などが展示されていた。また、いくつかの展示物ケースの中に出張中と書かれている札が置いてあり、読んでみると(←日本語でも書いてあった)日本に出張中とのこと。大都市を含めた六つくらいの出張先に、故郷である宮崎が入っていた。そういえば、母から一月にムーミンの移動博物館が宮崎市に来ると以前聞いていた。偶然ではあるけれど、フィンランドに留学してからはどんな些細なことでも縁を感じてしまう。

 


午後七時頃ヘルシンキに戻り、Kamppiの中央バスターミナル内のカフェテリアにある日本食屋「松屋」で夕飯を食べた。そこのマスターにどこから来たのかと聞かれ日本と答えると、自分は香港出身でこの店のマスターだという。フレンドリーそうな人だったので、「なぜ中華料理でなくて日本食をビジネスにしているの?」と率直に聞いてみると、自分は以前航空会社に勤めていて、よく日本に行ったことがあり、結構日本と関係があるんだ、などとおしゃっていた。とはっても、この会話は英語で、マスターは日本語を話せる様子ではなかった^_^; 私は天ぷらを注文し、このボリューム、見た目に満足。おいしかったのだけれど、実は、つゆが甘かったり、脂っこかったりで後からおなかを壊してしまった:S

夜は智恵の希望で、宅飲み。次の日の朝はゆっくり眠り、お昼頃に中央駅でお別れをした。中学・高校で一緒だった友達とまさか海外で再会するとは思ってもみなかったので、とても不思議で楽しい時間を過ごした。

←フランスのお土産。キャラメルは歯では食いちぎれないほどの硬さで最初びっくりしたけれど、慣れたらはまってしまう。 
もう一方はショコラオレンジケーキ。上品な味でとてもおいしかった。
智恵、ありがとう!