Sunday, August 15, 2010

3月5日 Aurora School


3月5日、"Introduction to the Finnish Education System(フィンランドの教育制度について)"という授業の一環で、ヘルシンキの隣町Espooにある小学校 Aurora Schoolを訪問した。
約四人ずつのグループに分かれ、別々のクラスで、授業参観。


まず階段を上っていくと、壁にいろんな掲示物が見られた。The Beatles Week(ビートルズ週間)というイベントがあったらしく、それぞれのバンド(この学校の生徒のほとんどがバンドに所属しているとのこと!)が作ったポスターが貼られていた。


廊下を歩いていくと、教室の前にコート掛けがずらり。コート掛けは大学の各教室にも設置してある。冬のマイナスの気温が普通であるフィンランドでは、コートはみんなが着る必需品。分厚くて嵩張るのでコート掛けがあるのは当たり前のようだ。

美術のクラスの作品も廊下に展示されていた。みんな上手!!


「他の学校で校長をしていたが、今はまた教師という原点にもどって教えている」、という先生の英語の授業を参観。

生徒がスピーカーから流れる音声の指示を聞き取り、指示通りにSmart Boardと呼ばれるスクリーン上のものを指で動かす。例えば"Put an eraser in the pen case."という英文が流れると、生徒はスクリーン上のカーソルを指で動かして、消しゴムの絵をタッチしてペンケースの絵にドラッグ&ドロップする。他にも英文の並べ替え問題などがあった。
教科書検定がなく、教科書製造会社の自由競争が認められているので、教材の質が日本よりずっと良い。
昼食はカフェテリアで8ユーロ程払って食べる予定だったが、学校側の好意で無料で提供された。フィンランドのカフェテリアは、自分で好きなものを好きなだけとる仕組みになっているので、配給の手間が省け効率が良い。ただ、メニューはサラダ・パスタ・ラザニアなどでレパートリーが少なく、献立のバリエーションが多い日本の給食の方が、栄養のバランスの面でもクオリティーが高くておいしい。フィンランドでは、小学生でも英語をある程度話せると聞いていたので、同じテーブルで昼食を食べていた小学2、3年生の女の子に話しかけてみた。返事の一つや二つは返ってきたけれど、みんな恥ずかしがっていて、残念ながらあまりコミュニケーションはとれなかった。
昼食の後は、演劇の練習セッションの見学をした。Aurora Schoolでは、毎年保護者・地域に演劇を披露するのを恒例としていて、希望者を募って昼休みに練習をしている。担当しているのでは先生ではなく、地域から雇っている指導者。クラブ活動も同様で、教師は学習面のサポートに専念しているらしい。

今年の演劇テーマ「ピーターマン」の練習の様子。

見学の後、最後にコーヒーを頂きながら、教務主任の先生のお話を聞く時間があり、この先生の言葉が印象に残った。

「フィンランドの教育のどこが特別に良いのかは分からないけれど、常に向上心を持っていることが良い傾向を生んでいるのかもしれない。」

2003年のOECD(経済協力開発機構)のPISA(生徒の学習到達度調査)で一位になってから、フィンランドの教育は世界から注目されている。生徒の創造力を引き出す授業の進め方によく焦点があてられるが、常に保護者・地域と三位一体になってカリキュラムの向上を図る学校、教師の姿勢が、より質の高い授業を生んでいるのではないだろうか。

Friday, July 16, 2010

Impressed! 2 The Draining Cupboard

フィンランドに来て、レーナのアパートに泊まらせてもらったときに出会い、そして自分のアパートに入居して同じものがあるのを発見したときに感動し、それ以来毎日愛用してきたものがある。

Draining cupboard(tiskikaapi)である。Drainboard(水切り台)ではなく水切り食器棚」だ。 シンクの上の扉をあけると…



食器の水切り台が出てくる。

水切り台と言えば、通常、流しの横に置いてある。それでもって、決して美しくはないし、スペースをいっぱいとってしまう。

フィンランドの水切り台は棚に収納されていて、場所をとらない。お皿用の格子、コップやお鍋用の格子が数段に分かれてあり、下が開いていて、ちょうど流しの真上にあるので、洗った食器をそこに置くだけで、水が自由にしたたり落ちることができる。

食器が、目につかない棚の中で、勝手に乾いてくれるのだから嬉しい。

最初の水切り食器棚はTTSという、仕事の効率性を追求するフィンランドの機関がデザインしたらしい。第二次世界大戦中、男性と同じように仕事をするようになっても、依然として家事を担当しなければならなかった女性たちの仕事量を減らせるような、便利な台所用品の開発を目指すプロジェクトで生み出されたのが水切り食器棚だった。

下の写真のように、隣は普通の食器棚になっているので、乾いた食器を簡単に移動することができる。

何のエネルギーも消費せず、整備も必要ないのだから、楽で、経済的である。

食器洗い機が出現してもなお、フィンランドのほぼ全ての家庭に水切り食器棚がある。食器洗い機では洗えないものがどうしてもあるからだろう。

シンプルなデザインなのに、フィンランド以外の国ではほとんど見かけないDraining Cupboard。この合理的なアイディアが海外に知られていないのは、もったいない気がする。

もし、将来自分の家を建てることになったら、ぜひ取り入れたい「北欧アイテム」だ。

Sunday, April 18, 2010

2月18日 Penkkarit "Down with the benches"

2月18日木曜日、Penkkaritというものがあった。英語ではDown with the benchesと訳されるらしい。
フィンランドの高校の伝統的なアクティビティーの一つで、高校最終学年三年生の生徒たちが、大学の一斉試験のための自習期間に入る前、最後の登校日を祝う行事のことを言う。地域によって祝い方は違うが、ヘルシンキではヘルシンキ内外の高校三年生たちがトラックに乗って集まってくる。お昼頃から段々集まり、午後二時ごろにはエスプラナーディ通りが各高校のトラックでいっぱいになり、その周りにはたくさんの見物人が。トラックには各高校・クラスのスローガンが書かれてある板や布が掲げられており、生徒たちはお菓子を道端、見物人に向かって投げながらどんちゃん騒ぎをする。


この最終登校日のお祝いは長い間学校内外で受け入れられていて、フィンランド人はトラックに乗った卒業生を見るために通りに集まり、いわゆる不作法とか不品行というのは許容されている。トラックから学生が転落するということは時々あるけれど、大事に至るような事故は起きたことがないらしい。


お昼の時間が空いていたので、大学からエスプラナーディ通りまでちょっと歩いて行ってみた。たくさん人が集まっていて、学生が投げるキャンディーなどを一生懸命拾っている人も結構いた。私は高校生たちを見ながら、「若いな~。高校時代に戻りたい。」と思いつつ、活気のあふれる彼らを見ているうちに、いつの間にか自分の顔に笑みがこぼれていた。私も、まだこれからだ、と元気をもらったひと時だった。



以下はビデオと高校生たちの写真。スローガンのイラストに日本のアニメキャラクターなどを取り入れているものを結構見かけた。





Penkkaritの後には、今度は二年生が自分たちが学校で一番年上になるのを祝うダンスパーティがあるらしい。これも保護者や先生たちが見守る学校の催しの一つで、二年生たちは伝統的なドレスに身を包み、男女ペアで参加する。
教育水準の高さで最近注目されているフィンランド。そこには日本の学校では見られないゆとりがある。日本のゆとり教育とは質が違う。

Sunday, April 11, 2010

2月4日~7日 A Visitor From France, Moomin Museum

二月初め、中学・高校が一緒で、フランスに留学中の友達、智恵が遊びにきた。

2月5日は作家でフィンランドの国歌の作詞もしたというルーネベリ(J.L. Runeberg)の誕生日。4日、授業中に先生が新聞記事を見せてまわってくれ、そこにはルーネベリの日(Runebergin päiva)に食べるというお菓子、ルーネベリタルト(Runebergin torttu)の写真が載っていた。ルーネベリの大好物だっため、ルーネベリタルトと呼ぶようになったらしい。

学校の帰りスーパーに寄ると、それが売っていたので購入し、智恵を空港へ迎えに行った。家に帰ってから夕食を一緒に食べ、デザートにルーネベリタルトを食べてみた。甘いけれど甘すぎでもなくて、おなかがすいているときに食べるととびっきりおいしいと思う。










次の日はヘルシンキ市内を回ることに。まず、テンペリアウキオ教会、そして凍った海の上を歩きにいって、シベリウス記念公園。知らない道から中心街に帰ろうとして道に迷ってしまったが、途中から無事トラムに乗って帰ることができた。もう何か月も住んでいるのにもかかわらず、智恵には心配をかけてしまった^_^;






長い間外を歩いて疲れていたので、カハビラ・スオミ(『かもめ食堂』撮影場所)に入ってお茶にした。私はおなかが空いていたので軽い食事をとることに。ほうれん草スープ、シンプルだが気に入った。この後は大聖堂を見に行ってマリメッコでお買いもの。夜はサーモンスープを作った。



←大聖堂前、雪の積もった階段を滑り降りて遊ぶ子どもたち。


エスプラナーディ公園にあるルーネベリの銅像前には火が灯されていた。 ↓
6日はタンペレにムーミン博物館を訪ねにいった。電車で約二時間。電車の中で隣に座っていた方がタンペレにある大学の学長さんで、いろんな話を聞かせてもらった。フランス語の先生でもあるらしく、「友達は英語を話さないの?」と聞かれ、「彼女は今フランスに留学中でフランス語なら話します」といったら、突然フランス語で話し始め、私はぽかんとしつつ、フィンランド語・英語以外の言語をも流暢に話す学長さん、そしてフランス語でペラペラと話す智恵にびっくり。智恵かっこよかった!^_^ 

月末に日本から教育関係者が学校視察に来る予定らしく、簡単な挨拶を教えてくれと言われたので、教えてあげた。これがまた驚いたことに、私は単にローマ字で書き出してあげようと思っていたが、自身でメモにとるだけでなく、私たちに何度か発音するのを頼み、自分が聞こえた通りにフィンランド語のアルファベット表記で書き取っていた。 どこにアクセントを置くかも気にしていて、マルチリンガルの人は言語の学び方が違うな、と感じた。



着いたらもうお昼の時間だったので、以前話に聞いていた「華火」というラーメン屋さんで昼食にした。具はユニークだったけれど、おいしかった。作っている人は日本人の方、店員さんは日本語を話すフィンランド人の方だった。


駅からまっすぐ1kmくらい歩いて、ムーミン博物館に到着。正式名称はタンペレ市立美術館ムーミン谷。市立図書館の一階にある。たくさんの日本人が来るらしく、パンフレットや標示など、あらゆるところに日本語を見かけた。

博物館内には原作者トーベ・ヤンソン(Tove Jansson)の直筆のスケッチや、ムーミンハウスの模型などが展示されていた。また、いくつかの展示物ケースの中に出張中と書かれている札が置いてあり、読んでみると(←日本語でも書いてあった)日本に出張中とのこと。大都市を含めた六つくらいの出張先に、故郷である宮崎が入っていた。そういえば、母から一月にムーミンの移動博物館が宮崎市に来ると以前聞いていた。偶然ではあるけれど、フィンランドに留学してからはどんな些細なことでも縁を感じてしまう。

 


午後七時頃ヘルシンキに戻り、Kamppiの中央バスターミナル内のカフェテリアにある日本食屋「松屋」で夕飯を食べた。そこのマスターにどこから来たのかと聞かれ日本と答えると、自分は香港出身でこの店のマスターだという。フレンドリーそうな人だったので、「なぜ中華料理でなくて日本食をビジネスにしているの?」と率直に聞いてみると、自分は以前航空会社に勤めていて、よく日本に行ったことがあり、結構日本と関係があるんだ、などとおしゃっていた。とはっても、この会話は英語で、マスターは日本語を話せる様子ではなかった^_^; 私は天ぷらを注文し、このボリューム、見た目に満足。おいしかったのだけれど、実は、つゆが甘かったり、脂っこかったりで後からおなかを壊してしまった:S

夜は智恵の希望で、宅飲み。次の日の朝はゆっくり眠り、お昼頃に中央駅でお別れをした。中学・高校で一緒だった友達とまさか海外で再会するとは思ってもみなかったので、とても不思議で楽しい時間を過ごした。

←フランスのお土産。キャラメルは歯では食いちぎれないほどの硬さで最初びっくりしたけれど、慣れたらはまってしまう。 
もう一方はショコラオレンジケーキ。上品な味でとてもおいしかった。
智恵、ありがとう!

Tuesday, March 9, 2010

12月30日 Stockholm 2 - Vasa Museum & Nobel Museum

現地一泊二日という短い滞在では朝はあまりゆっくりできない。

二日目は、まず朝十時ごろにヴァーサ号博物館(Vasamuseet)へ行った。現存する最古の完全船として有名な戦艦ヴァーサ号がここでは展示されている。

実はヴァーサ号、1628年の処女航海で、突風に襲われ、ストックホルム港内にいる間に沈没してしまったとか。設計上のミスなのか、大砲の積みすぎなのか、原因は未だ不明らしい。

木造だが、確かに保存状態がとても良い。

館内には船の中や当時の様子を描くいろんな展示があった。結構興味深くて写真をいっぱい撮ったので、どうぞ!
 
    

展示物を楽しんだ後、おみやげを買い、一旦中央駅に荷物を置きにいった。


ところでヨーロッパのユニクロと言われている「H&M」がスウェーデン発祥とは知らなかった:-O 街中のあちこち、本当にあちこちにH&Mがあるので、まさかと思って「るるぶ」の北欧情報誌を見てみたら、当たっていた。




さて、荷物を置いた後は、再びガムラ・スタンへ歩いて向かった。


真っ白な雪が本当にきれいだ。



本日の目的地はノーベル博物館。始めに目がついたのはガリレオ・ガリレイの直筆の研究ノート等々!
書かれている内容は全然わからないけれど、文字がとってもきれい。

 


他には、受賞者の発明や研究が紹介されていたり、天井では受賞者の顔写真とプロファイルのカードがぐるぐる回っていたりした。日本人の受賞者が回ってこないかとずっと上を見ていたけれど、なかなか出てこなかった:-(
さらに印象的だったのは、2008年ノーベル賞受賞者による寄贈品。三人の日本人が、ノーベル博物館に自分の思い出の品を寄贈している。

小林誠さんは、自分が十代のときに読み、物理学のキャリアに進むことを決心するきっかけとなった、アインシュタイン&インフェルト著の『物理学はいかに創られたか』という本を寄贈。












益川敏英さんは電子計算機を購入する前の1973年まで使用していたという計算尺。


下村脩さんは、受賞につながった発見である、緑色蛍光タンパク質を含むオワンクラゲを捕まえるときに使用した網(写真の中にはない)と、捕まえたクラゲを保管していたプラスチックの入れ物、そして研究で使用した試験管を寄贈していた。


ノーベル博物館で無事目的を達成した後は、すぐ中央駅に戻って、帰りのフェリーが待つ港へバスで向かった。

下はガムラ・スタンの街並み♪


今回の旅で、隣国同士でも、スウェーデンとフィンランドって全然違う、というのを実感。スウェーデンは博物館の多さや建物だけでも壮大な歴史が感じられる。

かといって、フィンランドを批判しているわけではない。フィンランドにはフィンランドなりの歴史がある。

以前フィンランド人の友達がジョークで「フィンランド人は優しいんだよ。だから文句を言わずにスウェーデンとロシアに占領されてあげたし。」と言っていたけれど、フィンランドの歴史というのは、本当にフィンランド人のシャイで、でも無愛想ではなく親切で優しい、といった性格を象徴している気がする。それは、現在注目をあびている、フィンランドの教育の質の良さにもつながっていると思う。この件についてはまた今度;-)